稲村公望さんのレジスタンスと私の思いで
久々に稲村公望さんに会った。1996年から沖縄郵政の所長をして、沖縄情報特区を提唱した。その後、郵政省に戻り、郵政公社の常務理事となって、郵政民営化に最後まで反対していたが、任期が来たので退官。いまは中央大学の客員教授(大学院公共政策研究科)になっている。
島田勝也氏がリードしている沖縄ベンチャースタジオ(県産業振興公社)が招聘し、ノースバレー(=北谷。照屋りんけん氏の店「カラハーイ」で開催)で講演するために来沖した。
内容は大資本がより強くなる格差拡大社会、縮小均衡の構造改革では、首相がいっていることと現実がまったく正反対になっている。拡大均衡政策が国民を豊かにする。ヨーロッパやカナダの各国政府が投資をして経済成長しているのに対し、日本は経済成長しなくなり、伝統や文化まで破壊されようとしている、というもの。「わたしはいまの構造改革に反対する(抵抗セイ…じゃなかった)レジスタンスだ」と述べた。
続いて、島田氏、りんけん氏を交えてのトークが始まり、りんけん氏は稲村さんの依頼を受けて郵政民営化反対の曲をつくったという話を披露し、稲村さんは突然、誰も聞いたことがない唄を歌った。
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稲村さんが沖縄に赴任した頃、わたしは構造改革すべきだと思いこんでいたので、話は合わなかったはずだが、
赴任早々のある日、濃紺の公用車で沖縄観光速報社に乗り付け、「君のところのホームページは面白いから、どんな人がやっているのか見に来た」という。当時、県内企業のホームページは非常に少なかったので、片っ端から見に行ったのではないかと思う。
どうぞといってイスを勧めたら、社長の席に座り、(途中で社長が戻ってきて、名刺交換して隅っこに座った)沖縄情報特区構想を打ち出すので智恵があったら出してくれ、
といって、あわただしくかえっていった。
そこで、わたしは昔から考えていたアイデアを企画書風にして、稲村さんに届けた。県内企業や大学研究者らから調査研究事業として1000万円くらいの企画がいくつも出ていたが、わたしは10億円と書いて出したら
「10億円の企画書を出したのは、君だけだ」
といって、面白がったようだ。
(企画書そのものはその時は没だが、ブロードバンドの普及などで、そこに書いた内容の多くはもう実現してきた)
10億円の企画のお返しに(?)平成9年(1997年)4月に沖縄情報通信懇談会(稲嶺恵一会長=現沖縄知事)から、「地域情報情報化の推進に貢献した」といって表彰状と副賞3万円をもらった。
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それから10年近くたってみると、わたしの方はすっかり抵抗勢力になっていて、稲村さんがいっていることが、よく分かるようになった。
「やっぱり、鋭い人ですよ。(10年前)それを稲村さんは見通していたんじゃないですか」。2次会にも出たかったが「車を運転するので、帰るよ」と島田氏に合図したら、そんなことをいう。
「わはは、そんなの分かるはずはないよ。あの頃はみんな一緒に無駄を省けといっていたじゃないか…」と応じて別れた。しかし、ふとその可能性もあるなと…。いや、ないか。稲村さんという人は変人かも知れないが、いっていることはズーッとまともだ。それにわたしが後から気が付いただけという話だろう。(渡久地明ブログ、06年2月。その後08年春「稲村公望新聞」第1号に転載)
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